BAR TAKI
41年の歴史に幕。

昭和から平成 木更津のバー黎明期とBAR TAKI

夜の帳が降りようとする2月の夕方。
JR木更津駅、西口を出ると、目の前にはかつて『木更津そごう』だった大きなビルが建っている。
木更津のバブルの象徴であるそれは、壊すに壊せず、今ではテナントの数も減り、所在無げな表情で鎮座している。
そのビルを横目に、シャッターの降ろされた店舗が多く並ぶアーケードを西に進む。
すれ違う人は少ないが、時折酔い客で賑わう居酒屋もある。
しばらく歩くと、1階が居酒屋のビル『億次郎ビル』が現れる。
階段を上がった2階にBAR TAKIはあった。

2019年2月16日、『BAR TAKI(バー タキ)』は閉店した。
オープンしたのが1977年8月。
実に41年と長い歴史に幕を降ろしたのだ。

マスターの滝口政夫(たきぐちまさお)さんは、元々木更津駅西口にあったバー『トニオ』で、バーテンダー人生を歩み始める。
『トニオ』というのは、同じく木更津駅西口に現在もある『カフェバー ルフラン』の松本さんが手掛けた店だ。

余談だが、『トニオ』という店名の由来は、ウイスキーメーカーの「トリス」・「ニッカ」・「オーシャン(現メルシャン)」、3社の頭文字からとったものだという。
こういうエピソードに筆者はグッときてしまう。

その後、松本さんが新たにオープンさせた『ニュートニオ』にて6年ほどバーテンダーとして在籍する。
そして『BAR TAKI』の前身『パブスナック ディスコ』という名で自身のお店をオープンさせる。
因みにこの店名は、ルフランの松本さんが命名されたそう。
店自体は躍るディスコではないが、当時ディスコが流行していたから“乗っかった”とのことだ。
松本さんの商売人としての大胆さが伺える。

10年ほど経ち、店を改装する事になりこのタイミングで店名を現在の『BAR TAKI』に改名する。

時はバブル景気に差し掛かる頃、さぞかし木更津も活気があった事だろう。
当時は銀行や証券会社などの金融業のお客さんも多く来店されていたそうだ。
木更津という土地柄、新日鉄(現・日本製鉄)関係者が多く来店しそうだが、特別多くはなかったと滝口さんは言っている。

その後滝口さんは、日本バーテンダー協会木更津支部長に就き、この地域のバーテンダーの育成やコミュニケーションの場作りにも尽力される。

バー文化は引き継がれる

BAR TAKI以降、木更津にも数多のバーがオープンしていった。
その多くのバーテンダーは、滝口さんを師と仰ぎ、それぞれのスタイルで木更津のバー文化の発展に貢献していった。

木更津の新しいバーテンダーにもBAR TAKIの思い出を訊いてみた。

木更津駅東口にある『Bar PIG』(バー ピッグ)の新田一生(にった かずき)さん。

新田さんはお客としてよく来店していて、その度に感じていた事があるという。

「BAR TAKIに行くと間違いなく安心できるんですよ。
それってなかなか難しい事で、一朝一夕にまとえる雰囲気ではなくて、長い年月とマスターの佇まいから醸成されたものなんです。
そこはすぐに見習えるものではないですけど、目指したいです。」

同じバーテンダーだから感じるBAR TAKIの“凄さ”があるのだろう。
滝口さんから何か教わった事があるか聞いたところ、

「マスターは、ただニコニコ話を聞いてくれて、バーテンダーとしてのノウハウを偉そうに語ることは全然ないです。おそらく言葉で教えるだけでは意味がないって思われていたんじゃないでしょうか?
そのかわりにお酒を作ってる動作、所作は見逃さないようにしていました。
それはとても勉強になりましたね。」

やはりバーテンダーだからこそ見える景色があるのだろう。

マスターから昔使っていたアイスピックをプレゼントされた。

次は同じく木更津駅東口にある『バレルズ バー』の折笠浩一郎(おりがさ こういちろう)さん。

折笠さんと滝口さんは、折笠さんの前職『バー クエスチョン』(木更津駅東口にあったバー)からの付き合いだと言う。

「バーテンダーなら誰しもが言うことだと思うんですけど、滝口さんのお人柄はとっても特別で、真似しようとしてもできないものです。40年間ずっと常連さんが通い続けているって、バーとしては奇跡のようなものですよ。」

筆者も滝口さんへの取材時に訊いた事だが、お客と言い争いをしたことはあまりなかったと言っていた。そのスタンスもお客が長く通いたくなる空間の大きな要素になっていたのではないだろうか。
さらに同じバーテンダーだからより感じる事を折笠さんは言う、

「バーテンダーの立ち仕事ってかなりキツいんですよ。滝口さんはそれを40年続けられたというのはそれだけ健康に気をつけていらしたんだろうな、と本当に頭が下がります。」

確かに足腰が弱かったら続けられる仕事ではないだろう。
40年という重みの具体的な部分はそういう地道な努力なのかもしれない。

「木更津みなと祭の時は、毎年店先でカクテルの出店を出していたのは印象的ですね。なぜカクテルを出していたかというと、より多くの人たちにバーを知ってもらいたいからなんです。そういう滝口さんのひたむきさは、どんな言葉よりも強いものがありました。」

折笠さんは更に続ける。

「バークエスチョンに入ったばかりの時、滝口さんがお店にいらしてくれて、『振ってみて』と言われたんです。
その時につくったのがギムレットでした。
『少し手首が硬いかなぁ。』と笑いながらおっしゃっていました。今、少しは上手くなったと思うので、また見ていただいてお召し上がりいただきたいですね。」

ギムレット

筆者もバレルズバーではたびたびつくってもらうギムレット。
美味しいギムレットになっているので、滝口さんにも味わっていただきたい。

滝口さんから色々教わって1人前のバーテンダーになった折笠さんも、今は自身の店を持ち、従業員を教育する立場。
ここで働いたバーテンダーは既に何人もいる。
このようにバトンタッチが続いていくのだろう。

折笠さんと屋良さん

そして滝口さんのパートナーとして貢献したバーテンダーの岡部陽子(おかべ ようこ)さん。

岡部さんは、2000年に木更津市東太田にあったバー『タバーナ』でバーテンダー人生をスタートさせる。
タバーナに数ヶ月いた後、BAR TAKIに移り、マスターからバーテンダーとしての教育を受ける。
当時滝口さんが日本バーテンダー協会(以下NBA)の木更津支部長に就いていた事から、岡部さんもNBAが主催する技能競技大会に出場する事になる。

まずは2001年にNBA認定バーテンダー資格を取得。
2002年にはNBA千葉県支部『第9回カクテルコンペティション』にて優勝する。
2003年、NBA認定バーテンダー技能検定に合格。
岡部さんはこれらの経験を通して、他のバーテンダーの所作やカクテルづくりのアイデアがとても勉強になったと言う。

マスターはなるべく岡部さんにカクテルなどを作る機会を与え、より成長できるようにした。
岡部さんは言う、

「マスターは師匠でもあり、私をとても理解してくれるお父さんです。」

と、二人の信頼関係が深いものだと言う事がわかる。
筆者が見た限りだが、岡部さんの所作は割と滝口さんと似ている部分が多いと感じた。それは当然なのかもしれない。

岡部さんは現在フリーのバーテンダーとして、出張バーテンダーなどで活動している。
またいい縁があればお店に入る事も考えているという。

こうして現世代にもバーテンダーとしての姿勢が受け継がれ、木更津の夜が豊かなものになっているのは、バー好きとしてはとても喜ばしい。

左から、滝口洋子さん、滝口政夫さん、岡部陽子さん

店内の撮影時、滝口さんがバーテンダーとして初めてお客さんに作った『ブルームーン』を呑ませていただいた。
ゴードン・ジン、パルフェタムール、レモンジュースをシェイクしたものだ。
結構強めのカクテルだが、滝口さんが作るそれは何だか丸みのある味わいで、とても素朴なカクテルだった。
やはり作り手の人柄が出るのかもしれない。
お店が最後の日に、それを堪能できたのはとても感慨深かった。

マスターが初めてお客さんにつくったと言うブルームーン

文/撮影/編集:高橋和紀